珍しい名前ってのは実用的です
名前で人違いされないから。
柳生、てのも相当珍しいんですが、
小学校の頃、さらに輪をかけて珍しい名前の女の子がいたんですね。
今日バイト帰りに地元のスーパーで買い物し、
レジに並んで何気なくレジ係の店員さんの名札見たら
まさにその子の名前があったんです!
苗字だけでもかなりの珍名さんな上に、
下の名前もイニシャルが合ってて、
100パー彼女なんです。
実は彼女、小学生当時は器量が良くない上に天然パーマ。
かなり異彩を放っていたんです
残酷な子供のこと、その子が来ると
「逃げろ~!」
なんつってまあ、いじめてた訳です
声、かけらんねー。。。
ぶっちゃけその子、髪のインパクトが強くて
顔思い出せない。
しかも今はもう天パじゃなくなったか、
ストレートパーマあてるかして普通の髪だったんですね
だから顔見ても「あー!」ってなんない
名前で絶対彼女ってことはわかるんだけど。
僕の知らないところで知らない時間を生きてきた彼女。
考えりゃほとんどの人がそうなんだけど
ちいさな接点がある分、なんか不思議な気分でした。
「1956円です」
「カードで」
「一回でよろしいですか?」
「はい」
それが彼女と交わした会話の全てです。
あのときはごめん、とか言えばよかったかなあ
ディズニーランドが昨日、24歳になっよ!
おめでとう!
てかいい年こいてんな、夢の国!!
その少し前に柳生も24歳になったよ!
おめでとう!
いい年こいてんな、俺。。
あー、社会出てぇー‥‥
おばんどす~!
ぶっちゃけ、京都ネタで1週間くらいひっぱろうかと思ってたんですが、さすがに僕自身あきてきたので、京都編の本題に入ります。
長くて、しんどい話だけど、ついてきて下さいね
僕が京都に行ったのは、父親に会うためだったんです。
もともと父親は、モノゴコロついたときから離れて住んでいたし、
実は母親とも、反抗期を今まで引きずって、ほとんど口をきいたことがなかったんです
だから、フランスに旅立つ前に、両親ときちんと話をしようと思って。
母親とは、まあ、ちょっと勇気出して、話せました
一緒に住んでんだから、話すのなんて、本当は簡単なことだったんですよね
父親とも、今回京都へ行って、きちんと話せましたよ
お酒の力もあるけどね。
そこで、衝撃の告白が‥‥
両親、離婚してたらしい!
それも、僕が5~6才のころに
今まで僕、ただの別居だと思ってたんですよ
「柳生」という父方の名字を、僕も母親も名乗っているから。
僕がいるから、いま一歩、離婚という一線をまたげないでいるんじゃないか、と思ってて
ここで僕がかすがいになって、二人を引き寄せよう、とか
それができなければ、きちんと離婚してお互いの人生を生きてもらお、とか
勝手に筋書きを立てていたんですが、
そんな一線はとうに越えてたんですね
そればかりか、父にはもう、新しい奥さんがいるってゆうじゃない!
‥‥がびーん(古っ)
用意してたいろんなセリフがふっとんでしまって、
なぜかあふれてきそうになる目汁を抑えるのがやっとでした
どうして姓が柳生のままかというと、小学校に上がる僕が、そのことでいじめられないように、という配慮からだったみたいです
父親も、なんだかんだで2度、名字が変わったらしくて、その度に嫌な思いをしたらしいので
父と母の仲は悪かったけど、それでも僕は、愛されていたんですね
そのことが嬉しくて、きっと目汁が出てきたのでしょう
彼らの決断がなければ、このブログの題名も「へんな鶴岡」(←母方の姓)になっていたわけで。
本当に、ありがとう
そういう気持ちを、昨日母親には伝えました。
父親にも、ちゃんと伝えなきゃなあ
あと、できれば父親の奥さんにも会って、何も気兼ねしないで、って伝えたいです
そんな、京都の旅でした♪